「契」

白川静『常用字解』
「会意。㓞ケイと大とを組み合わせた形。㓞は刀で丯カイの形に刻み目を加えてしるしとする意味。大は手足を広げて立っている人の形。契はおそらく人の額などに刀できざみを加えて、奴隷としての身分を示したものであろう。契は約束のしるしとして“きざむ”、また、しるしをきざんで“ちぎる(約束する)”の意味となる」

[考察]
㓞の音がケイならば形声文字になるはず。しかし白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべて会意的に説くのが特徴である。本項は敢えて会意としている。会意とはAの意味とBの意味をプラスした「A+B」をCの意味とするもの。㓞(刀で刻み目を加えてしるしとする)+大(手足を広げて立つ人)→人の額などに刀で刻みを加えて奴隷としての身分を示したもの→約束のしるしとしてきざむという意味を導く。
意味の展開過程にある「人の額などに刻みを加えて奴隷としての身分を示したもの」は意味なのか何なのか。むしろ余計な解釈ではないか。㓞(刀で刻み目を加えてしるしとする)→約束のしるしとして刻むと展開させて十分ではないか。
字形から意味を導く方法(これが白川学説の「字形学」)は言葉という視座がないから、図形的解釈と意味が截然と区別されていない嫌いがある。図形的解釈と意味を混同することも多い。そのため意味に余計な意味素が混入する。
いったい意味とは何か。言語学の定義では、言葉(記号素)は音と意味の二要素の結合したものである。したがって意味とは言葉に内在する観念である。言葉という聴覚記号を視覚記号に切り換えたものが文字である。文字は図形であってこれに意味があるのではなく、言葉に意味があるのである。ただし漢字は意味のレベルで、意味のイメージを図形化するという原理である。だから図形に言葉の意味を暗示させる意匠(図案、デザイン)がある。だからといって図形的意匠と意味は同じではない。字形から意味を読み取るのは限界がある。むしろ誤ることが多い。形→意味の方向ではなく、意味→形の方向に漢字を見ることが大切である。

意味→形の方向に契を見よう。契は古典でどのように使われているか、つまり意味を確かめるのが先決である。次の用例がある。
①原文:爰始爰謀 爰契我龜
 訓読:爰(ここ)に始め爰に謀り 爰に我が亀に契(きざ)む
 翻訳:[都の造営を]開始し計画し 亀に占って文字を刻む――『詩経』大雅・緜
②原文:有德司契、無德司徹。
 訓読:徳有るものは契を司(つかさど)り、徳無き者は徹を司る。
 翻訳:徳のある人は割符を管理するが、徳のない人は税金を管理する――『老子』第七十九章

①は文字や印を刻みつける意味、②は割符の意味で使われている。①の意味の言葉を古典漢語ではk'et(呉音ではケチ、漢音ではケツ)といい、②をk'ad(呉音ではケ、漢音ではケイ)という。①から②へ意味が展開した際、音が少し変化した。①②をともに表記する視覚記号が契である。これを分析すると「㓞+大」、㓞を分析すると「丯+刀」となる。丯カイがコアイメージと関わる重要な記号である。これは|(縦の線)に彡の形の三つの切れ込みを入れる様子を示す象徴的符号である。これによって「切れ目を入れる」というイメージを表すことができる。「丯(音・イメージ記号)+刀(限定符号)」を合わせたのが㓞カツで、刀で刻み目を入れる状況を暗示させる。丯も㓞も「刻み目(切れ目)を入れる」というイメージを表す記号になる。大は大きく立つ人の形で、大きく目立つというイメージを表しうる。かくて契は「㓞カツ(音・イメージ記号)+大(イメージ補助記号)」と解析する。契は間違いのないようにはっきり目立つ印を刻みこむ情景というのが図形的意匠である。これによって、約束や証拠のための文字や印を刻みつけることを意味するk'etという言葉を表記する。これが①の意味である。この意味から別の意味が派生する。②の割符の意味である。割符とは後日合わせて証拠とするために印を刻んで二つに割ったものである。ここからさらに意味が展開する。③約束の印をつける意味(契約の契)、④固く誓って約束する、ちぎる・ちぎりの意味(心契の契)、⑤ぴったり合う、投合する意味(契機の契)に展開する。