「敬」

白川静『常用字解』
「会意。茍の甲骨文字の形は羊の頭をした人が跪いている形。それは牧畜をするチベット系の羌人で、犠牲に使うため捕獲されていた。攴は小枝を持って打つの意味。敬は犠牲とした羌人の前に祝詞を入れる器のᆸを置き、羌人を後ろから殴って神意を責め儆(いまし)めるの意味となる。敬は何かを神に祈る呪儀であるから、そのときの神にうやうやしく仕える心を“うやまう”という」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。[茍-口](羊の頭をした羌人)+ᆸ(祝詞を入れる器)+攴(打つ)→羌人を後ろから打って神意を責めいませめるという意味を導く。
「羌人を後ろから打って神意を責めいましめる」とはどういう意味か、理解に苦しむ。また「神に祈る呪儀のときの神にうやうやしく仕える心」も意味とするが、どちらが本当の意味なのか、分からない。
そのような意味が敬にあるはずもない。意味とは字形から出るものではなく、言葉の意味であり、具体的な文脈における言葉の使い方である。敬は古典で次の用例がある。
①原文:既敬既戒 惠此南國
 訓読:既に敬し既に戒め 此の南国を恵せよ
 翻訳:身を引き締めて用心し 南国に恵みを垂れたまえ――『詩経』大雅・常武
②原文:敬鬼神而遠之。
 訓読:鬼神を敬して之を遠ざく。
 翻訳:神霊には敬意を払いつつも遠ざける――『論語』雍也

①は体を固く引き締める(慎む)の意味、②はかしこまって恭しくする(うやまう)の意味で使われている。これを意味する古典漢語がkiĕngである。これを代替する視覚記号として敬が考案された。古人は「敬は警なり」「驚は警なり」という語源意識をもっていた。敬・警・驚は同音であり、「身を引き締める」というコアイメージをもつ。警(用心する、いましめる)と驚(おどろく)は明らかに心身の緊張した状態である。①②の意味をもつ敬も全く同じである。では敬という図形はどのような意匠か。「茍キョク(音・イメージ記号)+攴(限定符号)」と解析する。茍については諸説紛々で定説はない。茍の口を除いた部分は羊の頭をした羌人と見る説(白川静)のほかに、角に触れて人がはっと驚いて体を引き締めるとする説(藤堂明保)などがある。『説文解字』に「茍は自ら急に勅する(引き締める)なり」とあるから、後者の説が妥当であろう。かくて敬は「何かに驚いて急に体を固く引き締める情景」というのが図形的意匠である。これによって①②の意味をもつkiengを表記する。