「携」
本字は「攜」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は雟ケイ。雟は頭に長い毛のある鳥(隹)を台座(冏)の上に載せた形。それに手へんを加えて、台座に載せた鳥を“たずさえる” ことを攜という」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がないので、すべて会意的に説く特徴がある。会意とはAの意味とBの意味を加えた「A+B」をCの意味とするもの。雟(頭に長い毛のある鳥を台座に載せる)+手→台座に載せた鳥を(手に)たずさえるという意味を導く。
台座に載せた鳥は物の上にある。手にたずさえるのは物が手にある。理屈に合わない。台座に載せ、その後で手にたずさえるなら分からないでもない。しかしそうすると、「台座に載せる」から「手にたずさえる」への意味展開は必然性がなくなる。
字形から意味を導く弊害が現れている。その方法自体が誤りである。というのは意味は言葉に属する概念であって、字形に属するものではないからである。
では意味はどうして知るのか。言葉が使われる文脈から知ることができる。意味は字形から引き出すものではなく、文脈から読み取るものである。攜は次の用例がある。
①原文:天之牖民 如壎如篪 如璋如圭 如取如攜
 訓読:天の民を牖(みちび)くは 壎ケンの如く篪チの如く 璋の如く圭の如く 取るが如く携ふるが如し
 翻訳:天が民を導くのは 土笛のよう竹笛のよう 璋の玉のよう圭の玉のよう 手に取るよう携えるよう――『詩経』大雅・板
②原文:惠而好我 攜手同行
 訓読:恵みて我を好まば 手を携へて同(とも)に行かん
 翻訳:私を愛してくれるなら 手に手を取って一緒に行こう――『詩経』邶風・北風

①は手にひっさげて持つ意味、②は手と手をつなぐ意味で使われている。①は物を∧の形にかけるというイメージである。手でなくても体のどこかにかけてもよい。携帯や携行はこの意味である。②は手を他人の手に∧の形にかけることで、手と手をつなぐという意味になり、手を取って引き連れる意味にもなる。提携・連携の携はこの意味である。①の意味をもつ古典漢語がɦuer(ɦuei、呉音でヱ、漢音でクヱイ)という。これを代替する視覚記号として攜が考案された。「雟(音・イメージ記号)+手(限定符号)」と解析する。『説文解字』では「周燕なり」とあり、段玉裁の注釈では燕のこととする。ツバメはその特徴により三つの呼び方がある。燕と乙(鳦)と雟である。雟は「屮(頭)+隹(とり)+冏(しり、尻尾)を合わせた図形である。ツバメを尻尾が∧の形をなしている。ツバメの形態的特徴から、「∧形をなす」というイメージをもつ圭のグループ(掛)や頃のグループ(傾)と同源と見て、ɦuerと造語し、雟と造形した。かくて攜は物を∧形に掛けて持つ情景を暗示させる。この図形的意匠によって、①の意味をもつɦuerを表記する視覚記号とした。