常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

カテゴリ: 漢字

「升」

白川静『常用字解』
「象形。勺(ひしゃく)の中にものがある形。勺でものを挹んでその量をはかることを示す。その大きさが一定量のものであるから、量器の名となり、またその分量をいう名となった」

[考察]
升は古典では「ます」の意味のほかに次の用例がある。
①原文:升彼虛矣 以望楚矣
 訓読:彼の虚に升(のぼ)り 以て楚を望む
 翻訳:あの大きな丘に登り 楚のあたりを眺めやる――『詩経』鄘風・定之方中
②原文:如月之恆 如日之升
 訓読:月の恒コウの如く 日の升(のぼ)るが如し
 翻訳:弓張り月の弦のように 太陽が昇るようにとこしえに――『詩経』小雅・天保

①は登る、②は昇るの意味である。これらの意味と「ます」の意味とはどんなつながりがあるのか。言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉えないと、それは永久に分からないだろう。白川は昇や陞の仮借とする。しかし昇・陞は升の後にできた字である。仮借というのはおかしい。白川漢字学説は言葉という視点がなく、コアイメージという概念もないので、意味展開を合理的に説明する理論を持たない。これも白川学説の限界である。
王力(現代中国の言語学者)は騰・登・乗・升を同源としている(『王力古漢語字典』)。これらのほかに、上・尚・承・蒸・称などとも近い。これらは「上に(高く)上がる」というコアイメージがある。物をはかる際に器を高く持ち上げることに着目して生まれた語がthiəng(呉音・漢音でショウ)である。これが「ます」の意味である。
一方、「上に(高く)上がる」というコアイメージから、高い所に登るという意味(上の①)、空中に高く上がるという意味(上の②)が生まれる。これらもthiəngといい、升と表記された。
升は楷書の字体であるが、金文では「斗+一」、篆文では「斗+丿」になっている。斗がますの形である。だから升は斗(ます)を持ち上げて物をはかる場面を設定した図形である。この意匠によって「上に(高く)上げる」というイメージを暗示させることができる。
 

「少」

白川静『常用字解』
「象形。小さな貝を紐で綴った形。綴った貝の数が少ないので、“すくない、すこし” の意味となる」

[考察] 
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。小さな貝を紐で綴り、その綴った貝が少ないから「すくない」の意味になったという。小が「小さな貝が散乱している形」で、その貝を紐で綴った形が少だという。散乱したものを紐で綴れば、まとまったものの意味になりそうなものだが、数が少ない意味とは解せない。
字形から意味を導くのは無理である。というよりも間違った方法である。意味とは「言葉の意味」であって、言葉の使い方である。意味は文脈でしか知りようがない。少は次のような文脈で使われている。
①原文:覯閔既多 受侮不少
 訓読:閔(うれ)ひに覯(あ)ふこと既に多く 侮りを受くること少なからず
 翻訳:心の病にもたびたび会った 侮られたことも数知れず――『詩経』邶風・柏舟
②原文:今少一人。
 訓読:今一人を少(か)く。
 翻訳:今、人数が一人足りない――『史記』平原君列伝

①は数量がすくない意味、②は数が減って足りない意味で使われている。これを古典漢語ではthiɔg(呉音・漢音でセウ)という。これを代替する視覚記号として少が考案された。
少は甲骨文字では四つの点を配置した象徴的符号であるが、小との同源意識から字体が変わり、「小(音・イメージ記号)+丿(イメージ補助記号)」になった。小は「ばらならで小さい」「小さくばらばらになる」というイメージがある(872「小」を見よ)。丿は斜めに払うことを示す符号である。したがって少は本体を削ぎ取って(ばらばらにして)減らす状況を暗示させる図形。この図形的意匠によって上記の①と②の意味をもつthiɔgを表記する。
 

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