「罪」

白川静『常用字解』
「会意。もとの字は辠に作り、自と辛とを組み合わせた形。自(鼻の形)に辛(入れ墨用の大きな針の形)で入れ墨を加えることを示す。罪人に対して、刑罰として入れ墨をすることがあったので、辠は“つみ” の意味となる。罪は辠と同じ音なので、のち罪を代用するが、罪はもと魚を捕る竹の网あみであった」

[考察]
「自(鼻)+辛(入れ墨用の針)」なら鼻に入れ墨することになる。鼻切りの刑罰はあったが、鼻に入れ墨する刑罰があっただろうか。罪は「魚を捕る竹の網」の意味で、「つみ」に用いるのは辠の仮借だという。しかし捕魚の網に用いた用例はない。下記の文献にもあるように最初から「つみ」を表す字であったと考えられる。結局字源の放棄である。
一説によると秦の始皇帝が辠が皇に似ているのを嫌い、辠を罪に代えさせたという。この伝説は真偽のほどは分からない。
罪は古典に次の用例がある。
 原文:何辜于天 我罪伊何
 訓読:何ぞ天に辜(つみ)あるや 我が罪は伊(こ)れ何ぞ
 翻訳: なぜ天から罰を受けたの 私の罪はどんな罪なの――『詩経』小雅・小弁

罪を法を犯す行為、すなわち「つみ」の意味である。これを古典漢語ではdzuər(呉音でザイ、漢音でサイ)という。これを代替する視覚記号として罪が考案された。
罪は「网(あみ)+非」と分析できる。网は網である。網は鳥獣にかぶせて捕らえる道具でもある。これを比喩に使い、法を犯す者を捕らえることや、人にかぶせて行動を規制するもの(法という枠)に喩える。法網という言葉もある。非は是非の非で、悪や悪人を示す。したがって罪は悪人を法の網をかぶせて捕まえる情景を設定した図形。この図形的意匠によって上記のdzuərを表記する。