「奔」
白川静『常用字解』
「会意。夭ようと歮しゅうとを組み合わせた形。夭は走の上半分と同じ形で、頭を少し前に傾け、左右の手を振って走る人の形であり、走るの意味がある。夭に止(趾の形で、行く、進むの意味がある)を三つ組み合わせた形の歮を加えた奔は、“はしる、はやくはしる、はやい”の意味となる」
[考察]
字源説としては妥当であるが、人が走る形から「走る」の意味が出たというだけで、同語反復の嫌いがある。また字形から意味を導くのも問題がある。
なお夭をヨウ、歮をシュウと読ませているが、夭折の夭や渋滞の澁とは無関係である。音がないのに音を当てると混乱させかねない。
意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。言葉の使われる文脈から出るものである。白川漢字学説には言葉という視点がすっぽり抜け落ちている。
古典における用例から意味を確かめるのが先にあるべきである。奔は次の用例がある。
①原文:鹿斯之奔 維足伎伎
訓読:鹿の奔る 維(これ)足伎伎たり[斯はリズム調節語]
翻訳:鹿が飛んで駆けるのは 足取り軽く仲間の方へ――『詩経』小雅・小弁
②原文:奔而殿。
訓読:奔りて殿デンす。
翻訳:敗走した際、しんがりを務めた――『論語』雍也
①は勢いよく駆ける意味、②は走って逃げる意味で使われている。これを古典漢語ではpuən(呉音・漢音でホン)という。これを代替する視覚記号しとして奔が考案された。
奔は「卉(イメージ記号)+夭(イメージ補助記号)」と解析する。金文は白川の言う通り「夭(手を振る人)+歮(三つの足)」であるが、篆文では「夭+卉」と字体が変わった。なぜ字体が変わったかが重要である。これは言葉という視点がないと理由が分からない。
『詩経』の鄘風・鶉之奔奔に「鶉の奔奔たる、鵲の彊彊たる」という詩句があり、異版では奔奔が賁賁になっている。奔は賁、および賁のグループ(噴・憤・墳)と同源の言葉である。これらとの同源意識から卉という記号が使われているのである。これについては1621「噴」で次の通り述べている。
賁は「卉+貝」に分析できる。卉は花卉の卉である。卉は芔がもとの形。屮(草)を三つ重ねた形で、草がこんもりと群がり生える情景。これを図示すると∩の形。賁は「卉(∩の形に盛り上がる。イメージ記号)+貝(限定符号)」と解析する。賁は貝殻が∩の形に丸く盛り上がっている状況を示す。ただしこんな意味を表すのではない。「丸くふくれる」「中身が詰まって盛り上がる」というイメージを表す記号とするのである。中身が詰まって盛り上がり、極点に達すると、↑の形に中身が飛び出しそうになる。したがって噴は詰まった中身がはけ口を求めて一気にふき出すことを暗示させる。 (以上、1621「噴」の項)
このように卉は「丸くふくれる」「中身が詰まって盛り上がる」というイメージから、「中身が詰まって盛り上がる」「↑の形に中身が勢いよく飛び出す」というイメージを表しうる。夭は夭折の夭ではなく、大手を振っている人の形。したがって奔は勢いよくぱっと飛び出して走る情景を設定した図形である。この意匠によって上記の①②の意味をもつpuənを表記した。
白川静『常用字解』
「会意。夭ようと歮しゅうとを組み合わせた形。夭は走の上半分と同じ形で、頭を少し前に傾け、左右の手を振って走る人の形であり、走るの意味がある。夭に止(趾の形で、行く、進むの意味がある)を三つ組み合わせた形の歮を加えた奔は、“はしる、はやくはしる、はやい”の意味となる」
[考察]
字源説としては妥当であるが、人が走る形から「走る」の意味が出たというだけで、同語反復の嫌いがある。また字形から意味を導くのも問題がある。
なお夭をヨウ、歮をシュウと読ませているが、夭折の夭や渋滞の澁とは無関係である。音がないのに音を当てると混乱させかねない。
意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。言葉の使われる文脈から出るものである。白川漢字学説には言葉という視点がすっぽり抜け落ちている。
古典における用例から意味を確かめるのが先にあるべきである。奔は次の用例がある。
①原文:鹿斯之奔 維足伎伎
訓読:鹿の奔る 維(これ)足伎伎たり[斯はリズム調節語]
翻訳:鹿が飛んで駆けるのは 足取り軽く仲間の方へ――『詩経』小雅・小弁
②原文:奔而殿。
訓読:奔りて殿デンす。
翻訳:敗走した際、しんがりを務めた――『論語』雍也
①は勢いよく駆ける意味、②は走って逃げる意味で使われている。これを古典漢語ではpuən(呉音・漢音でホン)という。これを代替する視覚記号しとして奔が考案された。
奔は「卉(イメージ記号)+夭(イメージ補助記号)」と解析する。金文は白川の言う通り「夭(手を振る人)+歮(三つの足)」であるが、篆文では「夭+卉」と字体が変わった。なぜ字体が変わったかが重要である。これは言葉という視点がないと理由が分からない。
『詩経』の鄘風・鶉之奔奔に「鶉の奔奔たる、鵲の彊彊たる」という詩句があり、異版では奔奔が賁賁になっている。奔は賁、および賁のグループ(噴・憤・墳)と同源の言葉である。これらとの同源意識から卉という記号が使われているのである。これについては1621「噴」で次の通り述べている。
賁は「卉+貝」に分析できる。卉は花卉の卉である。卉は芔がもとの形。屮(草)を三つ重ねた形で、草がこんもりと群がり生える情景。これを図示すると∩の形。賁は「卉(∩の形に盛り上がる。イメージ記号)+貝(限定符号)」と解析する。賁は貝殻が∩の形に丸く盛り上がっている状況を示す。ただしこんな意味を表すのではない。「丸くふくれる」「中身が詰まって盛り上がる」というイメージを表す記号とするのである。中身が詰まって盛り上がり、極点に達すると、↑の形に中身が飛び出しそうになる。したがって噴は詰まった中身がはけ口を求めて一気にふき出すことを暗示させる。 (以上、1621「噴」の項)
このように卉は「丸くふくれる」「中身が詰まって盛り上がる」というイメージから、「中身が詰まって盛り上がる」「↑の形に中身が勢いよく飛び出す」というイメージを表しうる。夭は夭折の夭ではなく、大手を振っている人の形。したがって奔は勢いよくぱっと飛び出して走る情景を設定した図形である。この意匠によって上記の①②の意味をもつpuənを表記した。