「吐」
白川静『常用字解』
「形声。音符は土。説文に“写そそぐなり”とあり、吐瀉するの意味とする。“はく、はきだす、だす、すてる”の意味に用いる。吐は吐き出すときの音を写した擬声的な字であろう」
[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では土から会意的に説明できず、結局擬音語とした。吐くときに「ト」という音を出すだろうか。
形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げ、語源的に意味を説明する方法である。既に古人はこの方法から、「土は吐なり」「社は吐なり」と言い、土・吐・社を同源の語として捉えている。これはどういうことかを検討しよう。756「社」では次のように述べた。
社は土地の神、また土地の神を祭るの意味で使われている。これを古典漢語ではdhiăg(呉音でジャ、漢音でシャ)という。これを表記する視覚記号が社である。古人は「社は土なり」「社は吐なり」という語源意識をもっていた。社は大地の生産力から発想された言葉である。これは社の語源である。次に字源的に社の成立を見る。社は「土(音・イメージ記号)+示(限定符号)」と解析する。土は盛り上がった土を描いた図形である。土には「中身が詰まって盛り上がる」というイメージがある。示は神の意味領域に限定する符号。社は土を盛り上げて土地の神を祭る情景を設定した図形である。これで上記の意味をもつdhiăgを表記する。(以上、756「社」の項)
土はつち、大地の意味であるが、「中身が詰まって盛り上がる」というコアイメージがある。中身が詰まると段々とふくれて盛り上がってくる。盛り上がる状況が極限に達すると、内部から外部に出て行こうとする。これが「吐き出す」という意味につながる。「中身が詰まる」→「盛り上がってふくれる」→「噴き出す」というイメージ展開は噴にも見られる。
古人が土・吐・社を同源の語と捉えたのは大地の生産力に着目したものである。 大地からさまざまなもの(主として植物)が生まれてくる。この生産力を大地から吐き出されるものと想像したのである。このような旺盛な生産力に感謝し、畏敬の念を持って、土地を神格化して祭る。これが社である。このような考えから土・吐・社の同源意識が古代から芽生えたと考えられる。
もちろん吐は「植物を地中から吐き出す」という意味ではない。吐は次のように使われている。
原文:柔則茹之 剛則吐之
訓読:柔なれば則ち之を茹(くら)へ 剛なれば則ち之を吐け
翻訳:[食べ物が]柔らかいなら食べなさい、固ければ吐きなさい――『詩経』大雅・烝民
吐は口から物をはきだすという意味で使われている。これを古典漢語ではt'ag(呉音・漢音でト )という。これを代替する視覚記号しとして吐が考案された。
土は「中身が詰まって盛り上がる」というイメージがある。したがって吐は、口に入れた物がいっぱいに詰まり、詰まったものが上にせりあがって、口からはきだす状況を暗示させる。 この意匠によって「はきだす」を意味するt'agの表記とした。
「はきだす」のは意図的な行為である。胃に入った食べ物を、何らかの原因で吐き気が生じて、逆方向に口から出すことがあるが、これは「もどす」という行為である。古典漢語では「もどす」ことを嘔(もとは欧)という。嘔吐という熟語で使われるが、実は嘔と吐は意味が違うわけである。
白川静『常用字解』
「形声。音符は土。説文に“写そそぐなり”とあり、吐瀉するの意味とする。“はく、はきだす、だす、すてる”の意味に用いる。吐は吐き出すときの音を写した擬声的な字であろう」
[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では土から会意的に説明できず、結局擬音語とした。吐くときに「ト」という音を出すだろうか。
形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げ、語源的に意味を説明する方法である。既に古人はこの方法から、「土は吐なり」「社は吐なり」と言い、土・吐・社を同源の語として捉えている。これはどういうことかを検討しよう。756「社」では次のように述べた。
社は土地の神、また土地の神を祭るの意味で使われている。これを古典漢語ではdhiăg(呉音でジャ、漢音でシャ)という。これを表記する視覚記号が社である。古人は「社は土なり」「社は吐なり」という語源意識をもっていた。社は大地の生産力から発想された言葉である。これは社の語源である。次に字源的に社の成立を見る。社は「土(音・イメージ記号)+示(限定符号)」と解析する。土は盛り上がった土を描いた図形である。土には「中身が詰まって盛り上がる」というイメージがある。示は神の意味領域に限定する符号。社は土を盛り上げて土地の神を祭る情景を設定した図形である。これで上記の意味をもつdhiăgを表記する。(以上、756「社」の項)
土はつち、大地の意味であるが、「中身が詰まって盛り上がる」というコアイメージがある。中身が詰まると段々とふくれて盛り上がってくる。盛り上がる状況が極限に達すると、内部から外部に出て行こうとする。これが「吐き出す」という意味につながる。「中身が詰まる」→「盛り上がってふくれる」→「噴き出す」というイメージ展開は噴にも見られる。
古人が土・吐・社を同源の語と捉えたのは大地の生産力に着目したものである。 大地からさまざまなもの(主として植物)が生まれてくる。この生産力を大地から吐き出されるものと想像したのである。このような旺盛な生産力に感謝し、畏敬の念を持って、土地を神格化して祭る。これが社である。このような考えから土・吐・社の同源意識が古代から芽生えたと考えられる。
もちろん吐は「植物を地中から吐き出す」という意味ではない。吐は次のように使われている。
原文:柔則茹之 剛則吐之
訓読:柔なれば則ち之を茹(くら)へ 剛なれば則ち之を吐け
翻訳:[食べ物が]柔らかいなら食べなさい、固ければ吐きなさい――『詩経』大雅・烝民
吐は口から物をはきだすという意味で使われている。これを古典漢語ではt'ag(呉音・漢音でト )という。これを代替する視覚記号しとして吐が考案された。
土は「中身が詰まって盛り上がる」というイメージがある。したがって吐は、口に入れた物がいっぱいに詰まり、詰まったものが上にせりあがって、口からはきだす状況を暗示させる。 この意匠によって「はきだす」を意味するt'agの表記とした。
「はきだす」のは意図的な行為である。胃に入った食べ物を、何らかの原因で吐き気が生じて、逆方向に口から出すことがあるが、これは「もどす」という行為である。古典漢語では「もどす」ことを嘔(もとは欧)という。嘔吐という熟語で使われるが、実は嘔と吐は意味が違うわけである。
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