「伏」

白川静『常用字解』
「会意。人と犬とを犠牲として墓室の棺の下に埋め、地中にひそむ悪霊を祓うことを伏瘞という。この伏瘞の法をいうのがもとの意味である。埋めるの意味から、のち“かくす、ふせる、ふす” の意味に用いる」

[考察]
「人+犬」の図形はあまりにも単純である。舌足らず(情報不足)な図形から、白川は「人と犬とを犠牲として墓室の棺の下に埋め、地中にひそむ悪霊を祓うこと(法)」という意味を導く。これは読み過ぎであり、臆測というしかない。
伏が「地中にひそむ悪霊を祓う」に意味ならば、「はらう」の意味になりそうなものだが、なぜ「埋める」の意味になり、さらに「隠す」の意味、また「ふせる」の意味になるのか。意味展開に必然性がない。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。
意味とはいったい何であろうか。言語学の定義によれば、意味は言葉に内在する概念である。音と意味が結合したものが言葉、すなわち記号素(意味をもつ単位)、平たく言えば一つ一つの単語である。漢語は一つの音節で一つの記号素(単語)を構成し、これに一つの視覚記号が対応する。これが漢字である。漢字は漢語を表記する手段である。「漢字の意味」といっているのは実は漢語の意味にほかならない。漢字という図形に意味があるのではなく、漢語という言葉に意味があるのである。
白川漢字学説は言葉を無視し、字形だけを相手にする文字学である。出発点から言語学への視座がない。意味を字形から引き出す文字学は言語学に反している。文字は言葉を離れてはあり得ない。言葉と対応しないものは文字ではない。文字はあくまで言葉に従属するものである。
意味は「言葉の意味」であるから、言葉が使われる文脈からしか意味は捉えようがない。 古典で伏がどのように使われているかを見るのが先決である。
①原文:既伏其罪矣。
 訓読:既に其の罪に伏フクす。
 翻訳:やがて罪に従った――『春秋左氏伝』荘公十四年
②原文:寤寐無爲 輾轉伏枕
 訓読:寤寐為すこと無く 輾転して枕に伏(ふ)す
 翻訳:寝ても覚めてもやるせなく 寝返り打って枕にふせる――『詩経』陳風・沢陂

①は本体の側に身を寄せる(寄り添い従う)の意味、②はうつぶせになる意味で使われている。これを古典漢語ではbiuək(呉音でブク、漢音でフク)という。これを代替する視覚記号しとして伏が考案された。
 biuək(伏)の語源について藤堂明保は、服・備・婦・匐・逼・佩・陪などと同源で、「ぴたりとくっつく」という基本義があるとしている(『漢字語源辞典』)。AとBがあって、A→Bの形にくっついてA|Bの状態になる。Aを本体とすればA←Bの形にBがAの側にくっついていく(あるいは、寄り添っていく)。伏は「|←や→|の形にぴったりくっつく」というコアイメージをもつ語である。これから上の①の意味が実現される。
語源を究明しないと字源が分からないことも多い。伏は人と犬を合わせただけの舌足らずな図形である。解釈しようと思えば何とでも解釈できる。しかし具体的文脈で使われない意味を導くのは恣意的解釈の譏りは免れない。字源を解釈するには語源の歯止めが必要である。上記の通りbiuəkという語は「|←や→|の形にぴったりくっつく」というコアイメージから、「本体の側に身を寄せる」という意味を実現した言葉である。これから逆に、古人がなぜ伏の図形を作ったかが想像できる。人間(主人)に忠実に従うという犬の習性を利用し、「人+犬」の図形を作ったのである。「犬が人(主人)に寄り添う」という情景を想定したのが伏の図形である。しかし意味するところは人とも犬とも関係がない。「寄り添い従う」という意味を暗示させるだけである。
なぜ②の意味に転じるのか。漢語における意味の転化(転義)はコアイメージによって起こることが多い。biuəkという語のコアイメージは「|←の形にぴったりくっつく」である。これは水平の方向だが、視点を垂直軸に変えると、「[↓ の下に―をつけた形]の形に、上から下のものにくっつく」というイメージになる。これは上から地面を覆う姿である。これが②の「うつぶせになる(ふせる)」の意味である。二つが横にくっつく姿も、縦にくっつく姿も、イメージとして抽象化すると同じである。
白川は「服と通じて“したがう”の意味に用いる」と述べ、仮借説に逃げた。言葉の深層構造に迫る視座がないと、転義現象を説明できない。ここにも白川漢字学説の限界がある。